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日本を降りる若者たち (講談社現代新書)日本を降りる若者たち (講談社現代新書)
下川 裕治

講談社 2007-11-16
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友人(数少ない)が勧めてくれたので、読んでみた。

何にせよ、人に勧められた本は素直に読んでみるというのが僕の人生哲学の一つです。多分。

読後。この本は今後の日本社会の行く末を考える上で非常に示唆的な内容だった。正確には、その状況証拠の一つを提示してるに過ぎないのだけれど、それを僕はある種の示唆として受け取る。もちろん、面白かった。

「日本を降りる若者たち」というのは、タイ / バンコクのカオサンに居ついて、日本に殆ど帰ってこない若者達の事を、主に、指している。本の中には、「外こもり」などというキーワードも出てくるが、そう表現されるとイメージしやすいかと思う。

その様な若者たちの実生活の紹介が、この本の内容の90%以上である。特にコレといった批判もないし、同情もない。かなり正確なルポタージュだ。

詳しくはこの本を読んで欲しいが、実に様々な背景を持った若者達がカオサンに集まってくる。日本の会社社会で上手くやって行く事が出来ずにタイに来て、一年の殆どをタイで過ごす。少し前までは、タイはビザなしでの滞在が30日まで許されていたから、その期限が迫れば、近隣のラオス、カンボジアなどに行き、またカオサンに戻る。滞在の軍資金がなくなれば日本にもどり、短期集中で円を稼ぎ、またカオサンに戻る。その様なスタイルで生きている若者(20代後半~30代後半くらい)が実に沢山いる。

では、なぜカオサンか。

簡単だ。

その様な、日本では上手く立ち回る事が出来なかった若者達が、何の強要も受けない空間がカオサンだからだ。昼間から軒先でビールを飲んでいても、だれも気に止めない。そういう空間は日本、特に都市部にはないものだ。労働観が日本とはそもそも全く違う。

ある会社で、十年近く働いていた妻子持ちの男が、ある日会社に来なくなる。
次の日もこない。次の次の日もこない。
上司が連絡すると、一言「飽きた」。
上司や同僚は「飽きたならしょうがない」という事で終わり。

こんな話がごろごろしているのがタイという国である。
日本ではまず考えられない世界だ。日本の常識から眺めると唖然とする。

そもそも働いていない妻子持ちの男だって一杯いる。そういう家は奥さんが働いている。でも奥さんにもそれ程悲壮感はなくて、男なんて端からあてになんかならないんだから、といった調子で、屋台の飯屋でもやって家族を養う。

また、大卒の女性だって平気で給料を2、3日で使い切ってしまう。

経済観念というものがそもそも欠落しているのだ。
それでも何とかやって行ける。なんとかなる。そういう世界。それがタイという国。

つまるところ、頑張るという事が特に美徳ではない世界がそこにはあるわけだ。そういう所に、日本で頑張り疲れた若者がスッと入ってしまうのは、ある意味では、当然の事かもしれない。

もちろん、そんな風に日本社会をドロップアウトし、カオサンに集まってくる若者達が被害者で、彼らを追い込んだ日本社会に大きな問題があるという様な安易な事が言いたい訳ではない。

彼らはカオサンで生活する為の資金を日本で稼ぐ。それは日本という国の経済力に彼らが依存していると言う事で、意地の悪い言い方をすれば、それは彼ら自身が感じざるを得ない矛盾だろう。そういう視点だってある。

彼らとは対照的に、タイで「働き」、生きるという選択をした若者たちもいる。ラングナム通りにもまた、日本人長期滞在者がいる。彼らの全員という訳ではないが、彼らの多くは、学校に通い、タイ語を学び、現地での職につく。そういう若者達もいる。

カオサンと、ラングナム通りの違いは、タイで「暮らすこと」の中に「働くこと」を持ち込んだかどうかにある。と著者は言う。そしてこんな風にまとめる。少し長いが引用。

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カオサンの通りの外こもりにしろラングナム通りの若者にしろ、国外に流出する人々は日本社会が抱えた問題を映し出す鏡となる。好況不況、少子高齢化、労働構造の変化、家族のあり方の変容、そういった日本社会の変化に押し出された人々ではあるが、そこには楽しみもある。旅がそうであるように。終身雇用制度の崩壊(でも年功序列は根強く、根強く残っている※俺注)によって、社会が自分のやりたいことを明確にもつことを若者に要求するようになったことが、若者の自分探しの旅に繋がり、それがタイで暮らす若者を生み出した。
  (中略)タイに住む若者たちは男性も女性も異口同音に、「日本のサラリーマンは偉い」というが、社畜という言葉が表すような日本社会の社会的規範やライフスタイルに生きづらさや居心地の悪さを感じて、日本にこれ以上住みたくないと思う人々もいる。
  (中かなり略)日本で頑張る事に疲れて、タイで頑張らなくてもいい自分になれた人もいる。タイでの暮らしのなかで、日本での疲れが癒えた頃、帰国するかタイで生きるか選択する。
  タイで頑張れない人は日本でも頑張れない。日本で頑張れなかったけれど、タイに来ても結局頑張れなかった人、日本で頑張れない、あるいは、頑張らない人が居心地の悪さを感じて、他人の目を気にせず頑張らない自分を貫くことができる場所をタイに求める。日本いたらニートや引きこもりと呼ばれても、タイに来れば一旅人になれる。
  結局、日本は「頑張る」という言葉を巡って人生が展開される、そうも思える。いや、日本というより、資本主義の世の中では、どこも同じなのかもしれない。現に、外こもりファンラン(白人)もカオサンやプーケットにわんさかいる。外こもりとラングナムの比較から見えてくるのは、突き詰めると、近代がどういう時代であったか、そして、近代資本主義がもたらして豊かさに対する問いかけなのかもしれない。

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ある部分で、上に書いてある事に僕は同意する。その上でこんな風にも思う。

恐らく、今日本の多くの若者は現状はそんなに明るくないだろう。労働問題とか、格差社会とか、もちろん、そういう事もあるだろうが、そういう事以前に、というかそういう事の背景には、そもそも、若い人間が、この国で働き、人生を生きていく事を上手く信じる事ができなくなってしまったからだろうと思う。

例えば、

会社が提示するキャリアパスとか、出世とか、そういうものを本気で信じている若い人間はあまりいないだろう。多くの場合、彼らが求めているのはもっと何か別のもので、それはつまり、自分の人生を豊かにしてくれる何かだ。でも何故か、その何かは会社とか仕事の中には殆ど求められない。求める事もなされない。仕事を頑張るという事が、自分の人生を豊かにする事とイコールにならない。

だが、実はイコールになる場合もある。それは本人が自分の望む仕事に就けた場合だ。つまり、自己実現の手段が仕事である場合だ。

ここから逆説的に導き出せる仮説は、自分の望む仕事/職業に就くことができなければ、仕事はもはや人生を豊かにする為の積極的な手段足りえないという事だ。

ホントはそうじゃないんだろうと思う。どんな仕事/職業だって、人生を豊かにするんだろう。これは、その仮説に対する反証なんだが、あまり説得力がない。

多分、団塊の世代以降の子供達が見て来た多くの親の背中にはこう書いてあった。仕事は辛く、家族の為に汗水垂らす。仕事は甘くない。そして、それ程面白いものではない。ここまでなら、それなりに物語として意味はあるだろう。

しかし、その後に、そういう文脈をふっとばす様にバブルが来る。この時点で、仕事というものの意味が殆ど失われてしまったのは、まず、間違いないと思う。簡単な理屈だ。「金は十分ある。だったら、真剣に仕事をする必要なんてないじゃないか。」子供は、言語化せずとも真実を見抜く生き物だから、仕事とはお金を稼ぐ手段に過ぎないのかと短絡しても何の不思議もない。もちろん、そんな子供は既に経済的、物質的には満たされている。

そんな風にして育ってきた子供が、果たして、仕事を通して人生を豊かにしようなんて考えるだろうか。多分、考えないだろう。(考えるなら、豊かにできるような仕事に就こうという事だろう。既に書いた様に)

でも、人生は待ってくれないから、モラトリアムが終われば、嫌でもちゃんとみんな会社に就職し、あるいは就職せずとも、社会人にはならなければならない。そして入った会社では、依然として強固に昭和的価値観が生き残っている。つまり、自分の親達の背中に書いてあった世界がそこにはある。その中で、「頑張ること」は暗黙に要求される。でも何故か、「頑張ること」の意味の方は、すっかり抜け落ちている。

さらに悪いことに、会社の中にも世代間格差は厳然と存在し、またしても、年功序列という昭和的価値観に支えられた制度が、既得権益をしっかりと守っている。

かくして、前途ある若者は絶望する。人生を豊かにする手段を見失って・・・。

ここでタイのカオサンの話に繋がるんだろう。タイには、日本とは違う労働観があり、生活スタイルがある。「頑張る」という選択肢もある。そして「頑張らない」という選択肢もある。人生を豊かにするというアプローチの仕方が自由である。日本の文脈を捨てて、ここなら自分の人生を豊かにできるかも。そう思っても不思議はない。


僕はこの本を読んで、カオサン/ラングナムの彼らがある意味では、羨ましくも見えた。そんな風に日本という文脈を捨てるのは、さぞかし清々しいんだろうな。とも思った。でもやっぱり、それは違うな、とも思った。なぜなら、僕は日本の社会というもの信じているから。別に僕はいい会社に入っている訳じゃないし、それ程人生を豊かに出来たとも、その意味を見つけれたとも思わない。会社はがっつり年功序列で、単価と原価が逆転しているオジサン達も結構いる。理不尽な事もそれなりにある。もちろん意味はない。意味がないのが理不尽の意味なんだから、あたり前なんだけど、ホントに理不尽なんだ。でもそんな状況であっても、尚、この社会にはまだちゃんと自浄作用が生きていて、自分自身がすこしづつでも変わる事で、状況もすこしづつ変わるだろう。そう信じている。そう、僕はこんな社会をまだ信用しているんだ。信じられない事に。どういうわけか。日本で生きてきたという、ただそれだけの理由で。

もちろん、何度も繰り返すが、カオサンに行く若者を「違うだろ。それは」とも思わない。ラングナムで「働くこと」を選択した若者をそうは思わないのと同じ様に。僕もいつそうなっても不思議じゃないし、実はそれが自分自身にフィットした最良の選択かもしれないし。でも、今はまだそうは思えないだけだ。
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無題
お疲れ様でーーーっす♪
ブログアップさんくす。キミならやってくれると信じてた。ええ信じてたさ。

面白かったでしょ?読み易すぎるのが玉に傷なんだけど(そんなこと言うの私だけかも)、批判や個人的感情や感傷や揶揄や侮蔑、全部全部排除されたかなり質の高いルポなんだよ。

踏み越えるのと踏みとどまるとのでは紙一重だけどそもそも大きな違いがあってさ。俺はコッチ側でこのルポを見ているわけだけど、ワタクシはかなり意地悪なので「でも、結局日本的価値観のある日本を捨てきれないんでしょ?」と言っちゃう。
お金がなくなったら日本に帰って稼ぐ。日本には自分の家族もいる(そのほとんどは連絡をとっていたりいなかったりだが、少なくともいることを本人は自覚しているようだし。このへんのことについてはあまり詳細書いていなかったね、生い立ちとかそういう感傷的なものには踏み込みたくなかったんだろうか)。ブログで自分の生活を公開して、ネット上で自己確認する、しているように見える。でもそれも日本語で書かれているのだし、いずれにしても日本の社会(といっていいのかインターネットのことを)に関わっていることには間違いない。
意地悪な気持ちで「それって逃げなんでしょ?」って言うことも簡単だし、「結局捨てきれないんでしょ?」って侮蔑することも簡単なんだ、けど。
同じ立場で、同じ目線から(まぁいわゆる『今時の若者として』)思うのは、
「結局そこまでやってもやっぱり日本を捨てられないんだ」という 諦め? がっかり感? やっぱり感?
ようするに私もこの本のなかの方々ともれなく一緒で、「自分の能力がいつか開花するかも」病、「この環境では自分が活躍できない」病、「こんな日本の価値観なんて捨ててしまいたい」病であることには間違いないわけ。「・・・でも、やっぱり、そうじゃないんだね?」と思う。コレを見ると、痛感する。
だって結局日本の円に頼って、ただ部屋のなかでウダウダすることが私の能力だと、思えない。今は。
だったらここでやってくしかないしやらなきゃいけなくて、キミの言葉を借りるならまだこの社会をどこかで信じているんでしょう。たぶんね。

奇跡的に結果キミと同じ感想だ。
富井副部長 2008/05/25(Sun)09:57:15 編集
あれかも
この社会でやってく自分自身が、まだ想像できるって事かもね。すくなくともそういう自分を希望するってのは、社会をそれなりにでも信じてないと出来ない芸当だからね。
管理人 2008/05/25(Sun)19:45:47 編集
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