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物語論で読む村上春樹と宮崎駿 ――構造しかない日本 (角川oneテーマ21) 角川書店(角川グループパブリッシング) 2009-07-10 売り上げランキング : 14691 おすすめ平均 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
とりあえず、文章が読みにくいけれども。。。。
まあ、それはよしとして、荒っぽくまとめると、村上春樹と宮崎駿の作品には、物語の構造しかなく、それ故に世界的な評価を得ていると分析している。構造というのは、神話の構造そのものだったり、文学理論とかやると出てくるロシア・フォルマリズムとかの話です。まあ、細かい分析は、同書を読めば丁寧に解説してある。納得出来る部分もあります。
で、
村上春樹と宮崎駿を著者(大塚英志)は評価しないよというのが結論である。
誰かの与えた物語によって自己実現した気になってしまうことはいいかげんやめて「近代的個人」に至る別のツールを選択すればいい。
物語では現実は解決しないのに、物語のように現実を再構成して、そして理解し解決しようとしているのが9・11後のぼくが「再物語化した」と呼ぶところの世界である。
物語批判は物語の外にこそ向けられるべきであり、しかも物語ではない因果律によって世界を理解し、記述していくかについては本当はたくさんの思想や試みが書籍として世界中に今もある。
物語などは所詮はただの消費財であるべきだ、とぼくがいいつづけるのはそれ故である。
少なくとも「構造しかない」物語にこの国全体が「とてつもない日本」という空虚な意味を補填し、日本が世界に届いたと思い込むことだけは止めた方がいい。
『物語論で読む 村上春樹と宮崎駿 ― 構造しかない日本』 p242-243
「誰かに与えた物語によって自己実現した気になって」いるような日本人がどれくらいかは知らないし、「近代的個人」を目指すべきなのかは良くわからないが、「物語ではない因果律によって世界を理解」できると著者は本気で思っているのだろうか?因果律というのは、物語を拒否した世界の理解の仕方かもしれないが、それは人間にとってそれ程有効な方法論だろうか?例えば、みんなが因果律で世界を理解しようとしたとして、そんな世界にぼくは住みたくないですね。。。60年前にこんなことを言っているおじさんがいました。
諸行無常という言葉も誤解されている様です。現代人だから誤解するのではない、昔から誤解されていた。平家にある様に「おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し」そいう風に、つまり「盛者必衰のことわりを示す」ものと誤解されて来た。太田道灌が未だ若い頃、何事につけ心おごれる様があったのを、父親が苦が苦しく思い、おごれる人も久しからず、と書いて与えたところが、道灌は、早速筆をとって、横に、おごらざる人も久しからず、と書いたという逸話があります。
この逸話は、次様な事を語っている。因果の理法は、自然界の出来事のみらず、人間の幸不幸の隅々まで滲透しているが、人間については何事も知らぬ。常無しとは又、心なしという事であって、全く心ない理法というものを、人間の心が受容れる事はまことに難しい事である、そういう事を語っております。私達の心の弱さは、この非人間的な理法を知らず知らずにうちに、人間的に解釈せざるを得ない。因果話や宿命論が現れるのも、そういう理由によるものと思われます。言うまでもなく、近代の科学は、そんな曖昧な解釈を許さない。因果律は、その全く非人間的な純粋な姿で、私達の上に君臨している。という事は、私達がまともに見る事が出来ぬものから、目を外らして了ったという事だ。因果律という、抽象的な図式を、何処か浮世の風の当たらぬところに、しまいこんで了ったという事です。これは私達の心が強くなったという事でしょうか。それとも、人間の心の弱さの反面を語るものだろうか。いずれにせよ、ここに、自然の世界と価値の世界との分離が現れた。近代文明は、この分離によって進歩した事に間違いはないが、やがて私達は、この分離に悩まねばならぬ仕儀に立ち到った。現代の苦痛に満ちた文学や哲学は、明らかにその事を語っているのであります。
『栗の樹』 ~私の人生観~ p300
この後に、因果律から立ち上がった釈迦の話が続く訳だけど、因果律で世界を理解するなんて事が人間に出来ると思っているのでしょうか?著者は。。。
まあ、そんな60年前の先人の言葉を引き合いに出さなくても、自分の近親者の死を因果律で理解する人がいるだろうか。ちょっと想像力を働かせれば分かることだと思う。「物語などは所詮はただの消費財であるべきだ」など本気で言っているとしたら、ちょっと首を傾げざるを得ないけどな。。。
僕の個人的な評価は置いといても、村上春樹と宮崎駿の物語に救われている人は、かなり沢山いると思うし、物語が何も解決しないとしてもそれが本当に意味を持たないかどうかわからないでしょう?と思うけど。それに、人の自我は、確かに与えられた物語でも形成されるけど、それ以外のファクターも当然あるわけで、そんな簡単に自己実現なんてしないでしょうよ。と思う。
著者の細かい分析とか解釈は凄いし、確かに面白いんだけど、根本の処でこういう事を本気で書いているとしたら、冗談だとしても哀しすぎる。少なくとも世界に届けたくない言説はこっちだよ。こっち。
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