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『海獣の子供』が篦棒に面白いので、他はどんなの書いてんのかなぁと思って手を出してみた。系統は同じだけと、やっぱこの独自の世界観は人を魅了するものを持っている。
『海獣の子供』も『魔女』もそうだけど、この人は言葉の作家じゃなくて、画の作家だ。その事は作中のキャラクターの言葉を通しても語られるし、圧倒的な画力やレイアウトの力で迫ってくるものが多い。言葉を信用していない訳じゃないけど、言葉では決して世界の神髄を説明しようとはしない。大事なシーンには、いつも言葉はなく、画がある。
多分、漫画でなければ、こういう世界観はけっこう沢山あるとは思う。ただし、それは言葉で説明的に記述されたものが多い。その世界観(感)を生に描こうとする試みはあまりみない。
端的に言えば、この人はvisionを持っているのだろう。それは、禅の画僧に近いものがある気もする。彼らは徹底的に画力を鍛え上げ、それがそのまま観法へと通じるところまで修行を積む。それがすなわち、仏教の世界では悟りと呼ばれるもの、つまり実際にvisionとして見えてくるまで。もちろん、五十嵐大介氏は漫画家であるからストーリーテラーではあるが、その語りは明らかに、法話に近い気がしてならない。
禅の公案とかはまさにそうだが、言葉自身を疑う為のものでもある。この『魔女』でも語られる様に、言葉は世界を分節してしまう。何かに名を与えることは、必ず意味という単位で世界を分断する行為であるという側面を持っている。もちろんそんな事はちょろっと勉強すれば分かることで、それは世界の理解の仕方としては、常に片手落ちになる。詩人は言葉を扱いながらも、その事を徹底して意識し、世界をそのまま語る言葉を記述しようと努力する(つまり本来の分節された意味の境界を変更を迫る言葉を紡ぐ)人達の事だし、画家は画において、音楽家は音楽において、visionを持って世界を観している訳だ。
で、五十嵐大介氏の漫画にも、そういうvisionを強く感じる。多分この人は本気で世界そのものを描こうとしようとしている部分がかなりあるだろうと思う。自分自身のvisionを紙に焼き付けようとしている。そういう情熱をものすごく感じる。
特に、言葉の世界で充足し、溺れざるを得ない現代人には凄く衝撃的で素敵なvisionを与えてくれる。『ほら、これが世界だよ、ほら』 と言っているような怖さと魅力をこの作家の作品は備えている。
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