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最近、本を読むのが以前にも増して楽しい。

昔から読んでいる趣味の本は然りで、
仕事関係の技術系の専門書も楽しいが、
最近良く読むのはどちらかと言えばマネジメントよりのもの。

「人月の神話」 フレデリック・P. ブルックス著(2回目)
「ピープルウエア 第2版」 トム・デマルコ 、ティモシー・リスター 著
「Joel on Software」Joel Spolsky 著
「BEST SOFTWARE WRITING」Joel Spolsky 著
「スーパーエンジニアへの道 ~リーダーシップの人間学~」 G・M・ワインバーグ 著

上記の5冊は最近読んだものだけど、どの本も非常に面白かった。

「遅れているプロジェクトへの人員追加は、さらなる遅れをもたらす」という
有名な「人月の神話」の法則は四半世紀もった今日でさえ、理解されていないようだ。ああ。

「ピープルウエア」の「開発プロジェクトで技術よりも何よりも大事なもの――それは人」という真実は、日本のソフトウェア産業の現状とは正反対に位置している。あああ。

「Joel on Software」はMSのExcel開発チームにいたJoel Spolsky が綴ったブログを書籍化したもので、ネット上でも青木靖氏の手によって翻訳されている。japanese.joelonsoftware.com/
まっとうな技術者としで如何にあるべきかが、地に足が着いた視点で語られている。
何よりユーモアのセンスが素晴らしく、本質的な問題を楽しみながら考える助けになる。

「BEST SOFTWARE WRITING」は、そのJoel Spolsky氏が、ソフトウェアの世界で著名な人達の文章を集めたオムニバス形式の読み物になっている。これは、非常に面白かった。
かなり笑えるものから、ソフトウェアの世界に関するかなり踏み込んだ鋭い考察、
実践的なプログラミング法まで、幅広く、飽きない。極めつけは、ホワイ・ザ・ラッキースティフによるRubyコース。この人は、天才なのかイカれているのか紙一重で分からないけど、このRubyコースはとても楽しかったです。ネットでも公開されているwww.aoky.net/articles/why_poignant_guide_to_ruby/

で、

「スーパーエンジニアへの道 ~リーダーシップの人間学~」G・M・ワインバーグ

なんだけど、これは本当に素晴らしい本だった。
僕が、コレまでの生涯で読んだ本の中で10指に入る程、素晴らしかった。

タイトルだけ見ると、かなり読者を限定してしまいそうだし、
自己啓発の臭いもするが、大きな誤解で、およそ、組織の中で働く全ての人間とって有用な真実が詰まってる。

これについては改めてエントリにしようと思う。

あっ、気が付けば、エイプリルフール。
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もちろん前回のエントリは、今回の枕です。

「自分探しが止まらない」速水健朗 著 (ソフトバンク新書)

という本が興味深い。視点も広い。
新書で読みやすいので、出来れば読んで欲しい。(大体2時間弱で読める。)
あなたが団塊ジュニア世代(1972年~1981年生まれ)の近辺であれば、
おそらく、思い当たる経験が幾つか書かれているだろう。(ちなみに僕は81年生まれ)

「自分探し」の定義は、この本を読んでもらうとして、

バックパック一つでの海外放浪、自己啓発、新興宗教、ワーホリ
ニューエイジ、ボラバイト、ホワイトバンド、ロハス、etc・・・。

という様な事が、自分探し、あるいはその派生系として取り上げられている。

なんか「自分探し」なんてテーマを持ってくると、
否定的に受け取られるかもしれないが、
この本のスタンスも、この僕自身のスタンスもそういう所にはない。

現に、僕の数少ない友人達の中にも、自分探しに奔走している人が何人もいるし、
僕自身にしてみても、大学を中退して、別の大学に入りなおしたりしている。
海外ではないけど、国内でバックパッカーもやった。就活で自己啓発を試みたが、上手くいかなかった。
そして、こんなブログを書き綴ちゃったなんかりしている。イタイ子だ。

著者は、それが社会的な構造に誘発された現象だと指摘している。
80年代末から始まった個性重視の教育(それに続くゆとり教育)、就職活動時の自己分析、
子供の頃から「やりたいこと」をやれ、という声が至る所から聞こえてくるのが、現代だと。
世界の第一線で活躍するスポーツ選手(野球、サッカー、ゴルフ、フィギュアスケート)
などが引き合いに出されて、早いうちから「やりたいこと」を見つける事は、良い事だ。の様に語られる。

(60年代末のカウンターカルチャー/学生運動、その後の経済成長/消費社会、バブルとその崩壊、といった文脈もあるけれど、そこは上記新書に詳しいので割愛)

僕も、とりあえず、その様な教育スキームの中で育ってきた。
そして、さっきも述べた様に、それ自体が悪いとは思わない。
「自分探し」をして、それで「やりたいこと」が見つかれば、
それは、きっと本人にとってハッピーな事だろうから。

でもね・・・。当たり前の事なんだけど、
ハッピーじゃない場合の結末もありますよ・・・・。という方の事は誰も言わないけれど、
そういう事を語らないで、「やりたいこと」やれ!と言うのはやはり無責任だとは思う。
でもって、ハッピーじゃない事になっちゃった人に向けて、「自己責任」はあんまりだ。とも思う。
世の中には、イチローになり損ねた元野球少年のサラリーマンがゴマンといるはずだし、
逆に言えば、そういう人達がいればこそ、イチローの人生が輝かしものしてメディアに乗っかる訳だから。

これ以上突っ込むと、青臭い、徒手空拳のつまらん社会批判になるので止めるが、上述の事が、
「やりたいこと」をやれ!を補完する形で語られていないという事には同意してもらえると思う。

そして、「やりたいこと」をやれ!と言われながらも、それを見つけられなかった、あるいは、それを自分の人生、仕事に上手く結び付けられなかった人が、自分探しをやり始める。俺/私が求めているのこんな人生じゃない、俺/私にはもっと別の可能性があるかもしれないと思って。

ここまで書くと、なんとなく前回のエントリにつながる・・・。かな。

>でも、仁斎の講義と、現代スピリチュアル説教は、
>その動機やスタンスにおいて全く性質が異なるものだ。

前回のエントリの
現代スピリチュアル説教は自分探しの事である。

仁斎の学問の話に戻ろう。

セレブ町人や、百姓が仁斎の講義を聞きに来たのは、
もちろん、仁斎の講義が面白く楽しかったからだが、それだけではない。

仁斎の学問は、商人や百姓が自分の仕事の役に立つものだったのだ。
もっと言おう。どうして生活したらいいかという事を教えるのが学問だったのだ。
生活の知見なんていうと、古臭い言い方かもしれないが、それが当時の学問だった訳だ。

ちょっと飛躍するが、端的に、

江戸時代の「学問」
  現代  の「自分探し」

と並べると、どうだろう。

馬鹿っぽい、安易なまとめ方だが、
300年で人間(日本人)の知恵とでも呼ぶべきものは進歩しただろうか。
という様な考え方をしてみる事にはある程度の意味があると僕は思う。

やってみたから分かる事だけれど、「自分探し」なんて馬鹿馬鹿しいものだし、ある意味で狂気に近い部分もある。自分探しが不毛なのは、「自分を探している自分はいつもの自分」というところに尽きる。現代スピリチュアル説教を聞いても、テレビを消せば、いつもの自分に戻る。海外放浪してみても、家に帰れば、いつもの自分に戻る。

「やりたいこと」を探す事は間違ってはいないけれども、
ホントに面白く、やりたい事は、日々の生活、仕事の中からしか立ち上がってこない。
自分の日々を見つめない限り、絶対に見つからない。
でもって、「やりたいこと」が見つかると、そこに達する為のステップが100くらいある。

という辺りの事が、社会人生活2年目を迎えて、
ある閾値を越えて実感として少し掴めた感があるので、こんなエントリを書いてみた。

それなりにしんどい2年間だったが、それなりの意味があったという事だろう。

あっ、また深夜1時だ。寝なきゃ。
小林秀雄の講演集の第四巻に収められた一編。
(ちなみに、全7巻。 1巻CD2枚組みで4000円。)

僕はこの講演集が好きで結構繰り返し聞く。
小林秀雄の喋りが落語みたいなので、聞いていて楽しいし、退屈しない。

なかでも、

女遊びより楽しい「学問」

という部分の、伊藤仁斎に関する話は面白い。

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伊藤仁斎は、江戸時代の思想家で、
終生どの藩にも仕官せずに、町の学者として、一生を送った人。
彼が開いた古義堂という塾の塾生は3000人にも上る。

仁斎の私塾に集まった人は、様々で、
公家や武士はもちろん、中には百姓や商人もいた。

商人といっても、時代劇なんかで出てくる悪い顔した「おぃ、越後屋」的な、
越後屋を想像されても困るので、当時の商人の状況を客観的に少し、

長者と呼ばれるには銀千貫、分限者は五百貫、金持ちは二百貫以上。銀を金に換算し、金1両を銀60匁とする。長者は1万7千両、分限者は八千両、金持ち三千両以上となる。 金一両を米一石、年貢は五公五民とすると、長者は三万五千石、分限者は一万五千石、金持ちは六千石に相当する。しかし、年貢米は籾を米にすると収量は半減するので、石高制にすると実質的に長者は七万石、分限者は三万石、金持ちは一万二千石の大名となる。こうやって具体的に数字をあげられると、江戸時代の大金持ちの町人というのは、並みの大名以上の存在だったということがよく分かります。

典拠 www.fben.jp/bookcolumn/archives/2007/01/post_1327.html

というような訳で、もう今で言う所のセレブなんて遠く及ばない位、
お金持ってた。(もちろん、こんだけの金持ちだから越後屋的な悪い顔してたかもしれない・・・)

まあ、こういう人たちが仁斎の講義を聞きに来てた訳だ。

と言っても、塾生はそんなセレブ商人ばかりでもない。

百里(≒393Km)も離れた所から、仁斎の講義目当てに来た百姓もいた。
食い物といえば背負って来た豆の袋で、講義もその豆を食いながら聞いた。
つまり、講義さえ聞ければ食い物なんて何でも良かった訳だ。

女遊びも、博打も、遊びと言う遊びを全てやり尽くした商人や、
食い物にも苦労するような貧乏な百姓が、
どうしてそんなにも仁斎の講義を聞きたかったのか?

そう、仁斎の講義が面白かったからだ。

講義を聴き終わってみると、人間というものがどうして暮らすのが正しいのか分かった様な気になる。
「人間にこんなにうれしい事はないじゃないか」 by 小林秀雄

という様な事で、当時の市井の人にとって、
学問ってのは、女あそびよりも楽しく、面白いものだった。
食い物なんてなんでも良くなるくらい魅力的なものだった。

ちなみ講義といっても、大学の講義のような畏まったものではなく、
お酒を飲んだり、ご馳走を食べながら聞く事が出来た。
内実共に、本当に楽しく面白い講義だったと推察する。

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時は、西暦2008年。

みなさん、大学の講義は面白かったですか?
勉強を楽しいと思って寝食を忘れた事がありますか?

僕はない。

少なくとも義務教育や、それ以降の教育課程において、
何をおいても勉強が楽しいなんて思った事はない。
むしろ、それは如何にして学ぶ事(覚えさせられる事)から逃避するかを考える日々だった。
ウンザリだ。ホントに。

でも、そんな日々の中でも自発的に興味を持った事は積極的に学んできた。
もう、それこそ寝食忘れて本に没頭した事もあった。
学ぶことが楽しくて仕方がないという経験も何度もした。
そして、そういう時の幸福な気持ちを、また体験したいと思うし、
その為に、今でも本を読み漁り続けている訳だ。
必要があればどんな分厚い専門書だって、希少な古書だって買うし読む訳だ。

知性を備えた動物である人間にとって、
学びたい、知りたい、学問をしたいという思うのはごく自然な事なのだ。
ほっといても、自然に生まれる感情なのだ。

学問したいという気持ちは、江戸時代の水呑百姓だって持ってるし、
電車でウンコ座りしているスーパーサイヤ人みたいな頭した高校生も持っている本能なのだ。

でも、スーパーサイヤ人高校生は、豆の袋背負って塾なんか行かない。(そもそも学校にすら行かない)
むしろ、彼らには、女遊びのが学問なんかよりは遥かに面白そうだ。

どうしてそんな事になったのか?

「学問をしたいと思うのが本能じゃなくなったのは、現代くらいのもんです。」 by 小林秀雄

続いて、小林秀雄はこんなエピソードを語る。

江戸時代の水呑百姓は、もちろん誰も学問なんか教えてくれないし、義務もない。
だから、子供の頃に「人生とは何ぞや」という疑問が生じたら、その疑問は熱烈なものになって、
それを教えてくれる先生が京都にいるとなれば、百里の道を遠しとせずに京都まで行った。

こんな話の展開だと、僕がまるで「教育なんて止めちまえ!」
と言ってるように受け取られるかもしれないが、
もちろん、そうじゃない。この物質的に飽和した高度資本主義社会の現代日本において、
教育を受けなかったら、それこそ生きて行けない。
スーパーサイヤ人だって、インフレバトル漫画の中で生き残って行けない。

江戸の時代の学問の起点となった中江藤樹もまた、
伯耆国(現鳥取県)の水呑百姓として生まれた。
そして、士農工商全ての身分の人々から「近江聖人」と呼ばれるまでになった。

もちろん、現代の高校生と近江聖人を比べてもしょうがないけれども、
そこには、学問(学ぶ事)に対する徹底的な違いがある。
それはさっきも書いた、学問に対する渇望だ。
藤樹にはそれがあり、現代高校生にはそれがない。

でも、ホントは現代高校生にだってそれはあるのだ。
ただ、文部省が作った、彼らの本能をげんなりさせるような教育指導要領や、
高圧的な態度で教育に臨む一部教師
(僕が学んだ多くの教師はそうだった。もちろんそうでない先生もいた)
によって、その本能はどんどん小さなものなっていく。

それだけじゃない、現代には、伯耆国の水呑百姓とは比べ物にならないくらい
楽しい誘惑が一杯ある。テレビ、ケータイ、ネット、ゲーム、etc、挙げるまでもないだろう。

話が逸れまくった。焦点がボケた。戻そう。

仁斎の私塾の話だ。

今と300年前では「学問」という言葉の指す意味が、
全く違っているから、話がブレるんだろう。

現代の「学問」てのは、アカデミズムのエイリアスで、
市井の人にとって、アカデミズムなんて、全く生活に関係ない。
少なくともそんな事知らなくても、人生において特に痛痒は感じない。

別の講演集で小林秀雄も言っていたが、

大学の先生に、
「先生、人生とはなんですか?」と聞いても、先生は答えてくれない。
そんな質問に答える義務もないし、「俺の仕事は研究だ」と言うだろう。

現代の学問とは、そういう所まで行ってしまったのだ。

でも、300年前は違う。
仁斎先生に、同じ質問をぶつけれれば、
講義という形でそれに答えてくれた。それが当時の学者の矜持であり、義務だったからだ。
だから上に挙げた様な、様々な背景の人たちが集まったのだ。
女遊びや、博打をやりつくした商人にだって、
「人生とは何ぞや」という事について知りたいという渇望はなくならないから。

300年後の現在だって、同じ事だ。科学や文化は進歩しても、
人間の本質はそんなに簡単には変わらない。
今だって、みんな生きる意味について知りたがっている。
だから、三輪明宏や、江原啓之のスピリチュアルな説教がアレだけ支持されているんだろう。

でも、仁斎の講義と、現代スピリチュアル説教は、
その動機やスタンスにおいて全く性質が異なるものだ。

ふぅ、結構書いたな・・・・。

まあ僕が帰りの横須賀線の中で講演集聞きながら思った事は大体書けたと思うので、
もうこれ以上書かないけど(もう深夜1時だから)、ここまで読んでくれた人に何か伝わったのかしらん。
昨年2月23日に亡くなられてから、
もう一年になるのか・・・。

池田晶子
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%99%B6%E5%AD%90

wikiの記述が、以前よりも充実してきている。
客観的な記述ながらも、故池田晶子に対する想いが僅かに感じ取れる。

確か、僕が熱心に彼女の本を買い求めた時は、
いくつかの著書は絶版に近い状態で、手に入れるのも難しいものもあったな。そういえば。
どれも良い本なだけに、版を重ねていると聞くと嬉しいものだ。

そして、今日

川上未映子氏が、
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E6%98%A0%E5%AD%90
www.mieko.jp/blog/2008/02/nobody_fe6c.html

池田晶子記念 「わたくし、つまりNOBODY賞」

を受賞された様だ。

池田晶子が言っていた「魂のリレー」という言葉をふと思い出す。

池田さん、あなたが小林秀雄や埴谷 雄高から受け取ったバトンは、
ちゃんと、次の世代に受け継がれてますよ。
まあ、あれなんだな。

結局の所、

1. 他人に見せるための資料がありません。つまり、マネージャーと顧客は資料に目を通していません。
2. 他人に見せるための仕様書がありません。つまり、SEとプログラマは仕様書のレビューを行っていません。
3. 他人に見せるためのコードがありません。つまり、SEとプログラマはコード・レビューを行っていません。
4. 誰も新しい人員を教育しません。つまり、新しい人員を教育することでトータルの開発時間を短縮できるとい  う考えがありません。

出典
www.hyuki.com/yukiwiki/wiki.cgi

という様な、状況に投入されたPGは、どうすべきか?
という問いを7ヶ月程続けて、色々試したが、やっぱ分からん・・・。

(自分の関わる範囲では、防衛的なプログラミングする。最低限必要な資料を残す。くらいが現実的な対策だが、まあやっぱり限界はある。)

とりあえず、もう一度「人月の神話」でも読んで寝る。

全然関係ないけど、笑えた。
soc.2log.net/monasouken/archives/blog185.html
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