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事実は小説よりも奇なり
というのを地で行く小説家ポールオースターのエッセイ集。随分前に読んだのだけれど、部屋を久しぶりに掃除してたら、ベッドの下から「また読んでくれよ」という顔つきでコンニチワしたので、再読。
このエッセイ集でなんといっても興味深いのは「赤いノートブック」という小さな物語を集めたやつ。この中の物語は全て実話である。どれも短いものなので一つ抜粋してみる。
一九九〇年、私は(著者の事)ふたたびパリに数日滞在した。ある日の午後、友人のオフィスに立ち寄ると、彼女の知人だという、チェコ人の女性を紹介された。美術史家で、四十代後半か、五十代前半の魅力的で活発人物だったことは覚えているが、こっちが入ってきたとき向こうはもう帰るところだったので、一緒に過ごしたのは五分か十分ににすぎない。そうした状況の常として、我々はべつに大した話もしなかった。二人とも知っているアメリカの町のこと、彼女がいま読んでいる本の内容、天気。そして、我々は握手し、彼女は部屋から出ていった。それっきり彼女にはあっていない。
彼女が帰ってから、私の友人は椅子の背にもたれかかって、「よくできた話を聞きたい?」と言った。
「もちろん」と私は答えた。「よくできた話はいつだって歓迎さ」
「あの人は私はも大好きよ」と友人は言葉を続けた。「だから誤解しないでね。あの人についてゴシップを広めるつもりじゃないのよ。ただ、あなたには知る権利があるような気がするの」
「本当に?」
「ええ、本当よ。でもひとつだけ約束してちょうだい。もしこの話をどこかに書くとしら、名前はいっさい出さないで」
「約束する」と私は言った。
こうして友人は秘密を教えてくれた。はじめから終わりまで、ここに書きとめた物を彼女が語るのに、三分とかからなかったと思う。
私がたったいまあった女性は、戦争中プラハに生まれた。まだ赤ん坊のころ父親が捕らえられてドイツ軍に強制徴収され、ソ連の前線に送りだされた。彼女と母親のもとには、それきっり何の連絡も届かなかった。手紙もこないし、生きているとも死んだとも知らせはなかった。まったく何もなし。戦争は父親を呑み込み、父は何の痕跡も残さずに消えてしまった。
何年かが過ぎた。少女は大人になり、学業を終えて、大学で美術史を教えるようになった。私の友人によれば、六〇年代末ソ連による弾圧があった時期には政府と厄介な事態になったということだが、どのような厄介だったかは聞かせてもらえなかった。その時期に他の人々の身に起きたことについては私もいろいろ聞いている。想像するのは難しくない。
そのうち彼女は再び教壇に立つことを許された。あるクラスに、東ドイツからの交換留学生がいた。彼女はこの若者と恋に落ち、やがて二人は結婚した。
結婚式のあとまもなく、夫の父の死を知らせる電報が届いた。翌日、夫妻は葬儀に出席するため東ドイツへ向かった。目的地 ― どの町かは不明 ― に着くと、いまは亡き義父がチェコスロバキアで生まれたことを彼女は知った。戦争中にナチスに捕らえられてドイツ軍に強制徴収され、ソ連の前線に送りだされたというのである。そして、奇跡的に義父は生き延びた。ところが、戦争が終わってもチェコスロバキアには戻らず、新しい名前を使ってドイツに住み、ドイツ人の女性と結婚して、その新たな家族とともに死ぬまでずっとドイツで暮らした。戦争は彼に一からやり直すチャンスを与えたのであり、どうやら彼は過去をいっさい振り返らなかったらしい。
夫の父がチェコスロバキアではなんという名前だったかを訊ねた彼女は、その答えを聞いて。彼が自分の父親であることを悟った。
彼は夫の父親でもあったわけだから、言うまでもなく、彼女が結婚した人物は、彼女の弟でもあったのである。
「トゥルー・ストーリーズ P42~P44 赤いノートブック」
これをどう受け止めるかは、もちろん読んだ人間次第だが、こんな風な奇妙な巡りあわせの物語が幾つも収められている。僕としては、こうゆうものを読むと、どうしても現実という物語の地力を感じざるを得ない。それは僕が知らないところで脈々と流れていて、ときどき、こんな話のように僕らの人生にひょっこりと顔をだしては、去っていく。僕らはそれに気がつく時もあるし、気がつかない時もある。あとになって分かる事もある。それは何かのメッセージであるかもしれないし、そうでないかもしれない。時には、そこには何かしらの教訓があるかもしれない。そして、この太陽系第三惑星に生まれ、矮小な人生を送っている人間に出来ることと言えば、それでもただ前に進む事しかない。
オースター氏は、とかくこの手の現実が持つ物語性に強い関心を抱いている。作風からもわかるし、以下の様な本の編纂もしたりしている。
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これは、アメリカの大手ラジオ局NPR(National Public Radio)で、オースター氏の企画のもと、全米のリスナーから彼 / 彼女らが体験した真実の物語を募り、それをオースター氏が番組で朗読するという企画を書籍化したもの。
実は、この本さっき買って来たばかりで、まだまえがきと2、3の話しか読んでいないが、とても面白い。こんなにも奇妙で不思議な物語を人々は抱えているのもなのかと唸らされる。ここでもまえがきの一部をちょっと引用してみる。
ホームランを打ったとか、陸上競技でメダルをとっただとかいった話を送ってきた高校生も少しはいたが、この機会を自慢話に利用する大人はめったにいなかった。爆笑もののヘマ、胸を締めつけられるような偶然、死とのニアミス、奇跡のような遭遇、およそありえない皮肉、もろもろの予兆、悲しみ、痛み、夢。投稿者たちが取り上げたのはそうったテーマだった。世界について知れば知るほど、世界はますます捉えがたい、ますます混乱させられる場になっていくと信じているのは自分一人でないことを私は知った。いち早く投稿してくれたある人の言葉を借りれば、「私はもう現実をうまく定義できない」。物事について考えを固めてしまわず、見るものを疑うよいに心を開いておけば、世界を眺める目も丁寧になる。そうした注意深さから、いままで誰も見たこともないものが見えてくる可能性も出てくる。自分が何もかも答えを持っているわけではないと認めることが肝要なのだ。すべて答えを持っていると思っている人には、大切なことは何ひとつ言えないだろう。
「ナショナル・ストーリー・プロジェクト P13 編者まえがき」
ほんとうに、現実をうまく定義できなくなってしまう様な話ばかりだ。冒頭の話は、たった5行だが、なんとも奇妙でシュールだ。ある日曜の朝早くにスタントン通りを歩いていると、何メートルか先に一羽の鶏が見えた。私の方が歩みが速かったので、じきに追いついていった。十八番街も近くなっていたころには、鶏のすぐうしろまで来ていた。十八番街で鶏は南に曲がった。角から四軒目の家まで来ると、私道に入っていき、玄関前の階段をぴょんぴょん上がって、金属の防風ドアをくちばしで鋭く叩いた。やや間があって、ドアが開き、鶏は中に入っていった。
「ナショナル・ストーリー・プロジェクト P22 鶏」
著者の言葉借りれば、「アメリカが物語を語るのが私は聞こえたのだ」。PR
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