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正直いって、既に28歳になってしまった身としては、いまいち入り込めずに、どうも分析的な視点での観賞になってしまう。うーむ。切ない。。。とは言え子供がいる人は、『ワンピース』なんぞではなく、こちらをみせてあげるとよいとは思う。子供の視線や、微妙な感情により沿った丁寧な作りで、物語もゆっくり進む。映像も想像力を掻き立てるものがある。自分が子供だったら、連れて行って欲しいと思う。もちろん、今となっては誰も連れて行ってくれないので、自分で観に行く。

原作となった絵本の方は、随分短いらしく(恥ずかしながら自分は読んだ事ない)、映画版はスパイク・ジョーンズが随分と膨らましたようだが、基本的には、子供の感情の変化がそのまま、かいじゅうたちがいるせかいに反映されている(これは基本的に原作も一緒だとおもう)。主人公の少年マックスは、かいじゅうたちの王様ゆえに、マックスが楽しめば、その世界はたのしくなり、恐れれば、そこは恐怖の世界になる。そんなマックスの想像の世界の中で、マックス自身が少しだけ成長する。そんなお話。その成長も明確には示されていない。微かに観客が感じるとるもの程度に抑えられている。素敵。

子供の頃なんて、たいていは空想の世界に浸っているもの(未だに多少浸ってはいますが)で、現実世界は空想の物語を作り出す為の道具立てに過ぎなかったりもする。その空想の世界で子供の心はグングン成長するもので、この作品は、その『グングン』という感じを実によく描いているなぁと思いながら観ていた。グングン。

でも、別に『グングン』成長するのは、子供だけじゃないよなぁ。自分が知っている素敵な大人の人は、みんなこの『グングン』をいろんなレベルでやっている気がする。そういう子供らしさは大人になっても捨てちゃいけないのだ。大人の『グングン』はたいてい好奇心が原動力になっているものだけど、そういうものを失ってしまうと、人ってのは簡単につまらなくなってしまう。

というわけで、観終わって、土日をダラダラと過ごさないで、『グングン』せねばと身につまされる思いでした。

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刺激的な映画。何たって資本主義批判だからね。

観ていると、喜怒哀楽の全部を刺激してくれるマイケル・ムーアのドキュメンタリー映画だが、流石に今回は相手が資本主義というものだから、暖簾に腕押しというか、いまいち力のある一発がたたき込めていない。その点、「シッコ」は、アメリカの医療制度問題にちゃんとスコープを絞っていたから、闘いやすかったとは思う。

とは言っても、恐らく、観た人の多くは共感を得られたのではないかと思う。
そのくらい今の社会には、特に日本には、ルサンチマンとでも言うべき感情が広まってしまったという事なんだろうなぁ。と思った。米国とはまたちと微妙に事情が違うから、感じ方もちょっと違ったのではないかな。出口のない閉塞感が、一部の利権を握っている人達に、怒りとなって向けられて、そういう仕組みを容認するのが資本主義という事であれば、もうこれは打倒するしかないですね。と。一揆ですね。という流れが米国でも、日本はそう単純な話でもないからね。

でまあそういう話もあるけど、個人的には、資本主義批判とかはどうでもよくて、やっぱりマイケル・ムーアは優しい、正義感に溢れたおじちゃんなんだという事をひしひしと感じながら鑑賞していた。

ムーアは、若い頃真剣に聖職者を目指していて、苦しんでいる人達の助けになりたい。と思っていたと、この作中でちょっと紹介されているけど、この人の行動原理は、苦しんでいる人への共感であって、つまり、それは優しさで、『ボウリング・フォー・コロンバイン』でも『シッコ』でも作品の根底にあるムーアの想いというのは、素朴な、人々への共感でしかないと思う。

この作品でも、資本主義にキリスト教をぶつけている。よく考えるとおかしな対比だけど、もちょっとよく考えると全然おかしくないのだ。『だって、一握りの人間がどう頑張っても使い切れない程荒稼ぎして、多くの人が家まで失うなんておかしいじゃんか?』と。ムーアの作品を支えるの、いつだってそういう普通の人の常識であって、実は社会が健全であるかどうかって、そういう常識がちゃんと通用するかどうかでしかはかれない。そういう常識をしっかり声高に叫べて、それがちゃんと大きな声になってオバマは当選した訳で(まあ現状の評価はちょっと置いといて。。。)、それはアメリカという国の良いところ(ちょっと極端な部分もあるにせよ)だと素直に思う。

そういう点では、日本という国はだんだんそういう常識が通用しなくなってきているのかも。。。とも思ったりする。

あと、この作品の原題は『Capitalism:A Love Story』。そう副題は『A Love Story』なんだよな。

みなさん。あけましておめでとうございます(遅いけど)。
今年も拙ブログをどうぞよろしく。



予告編が英語しかないので、日本語の予告編が見たい方は、こちらの公式サイト

冒頭から、これは愛の物語ではないとナレーションが入るけど、
確かに恋愛映画というよりも、boy meets gril のお話と言われた方がしっくりくるかもしれない。

グリーティングカード制作会社(世の中にはそんな会社があるんですね)に勤める主人のトムが、そこに転職してきたサマーに恋をした500日間がランダムに回想されていく。

時間の流れをバラバラにするという技法は、いろんな映画で使われているけど、僕の記憶している限りだと、大抵はミステリーとかで、観客の頭の中でパズルのピースがちょっとづつハマるように謎が解けてくとか、そういう風に使われている。

この映画では、主人公のトムがサマーに恋をした500日間をランダムにふり返る。という演出として、時間バラバラ技法(今適当に命名)が使われていて、それが可笑しみや、悲しみを上手くみせてくれる。シンプルだけど、効果的。

あと、やっぱり挿入歌にセンスが光る。というか監督の音楽趣味がそのままダイレクトに反映されているんだろう。大体は80年代以降のアーティストのものだが、どれも素敵な曲で、もうそれだけで楽しくなってくる。主人公のトムは、エレベーターで、The Smiths を聞いてると、サマーに「それスミス?私もスミス好きよ」って言われて、トムは恋に落ちるんだけど、これは絶対監督の妄想だ!間違いないぞ!

サントラも買ったけど、凄く良い!絶賛オートリピート中!

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そして、サマー。。。もうこういう女の子居ますね。マジに。自由奔放でとっても魅力的という。大抵の男の子はこういう娘に恋をせざるを得ないと思うけどなぁ。皆さんどうですか?とりあえず、『ハプニング』の時より10倍くらいズーイー・デシャネルが可愛い。
(しかもwikipediaによると、このズーイーの由来は、サリンジャーの『フラニーとゾーイー』のゾーイーから取っているんだって。なんて素敵な。。。)

ありきたりなハッピーエンドでは決してないけれど、可笑しくて、みっともなくて、悲しくて。そういう当たり前な光景が、何とも素敵に見える。見終わって、なんとなくスキップでもしたくなるそんな良い映画。新年一発目の映画としては、申し分なかったです。公開している場所は限られてますがオススメの一本。



3Dで鑑賞。

話題になっている冒頭の追憶のシーンでもう完全にやられてしまった。素敵な映像と素敵な音楽のみで語られるカールじいさんの人生。映画というものの本質的な力を感じさせられる。

追憶の中に生きるじいさん。妻と思い出のみがじいさんのすべてで、それ故に頑なになっているじいさん。そして、その頑なさが災いしてしまう。妻の夢を叶える為に、そこから冒険を決意していくじいさん。

その一連の流れだけでもう素晴らしかった。沢山の風船につながれた家が飛び立つシーンも作り込みが凄い。ディティールへの拘りが最高の演出になっている。プロの仕事だ。

また、吹替版で観たのだけれど、作中の本の内容まで日本語で書いてあった。。。これ多分各国語のバージョンがあるんだろう。制作スタッフの世界中の観客に対する心配りが感じ取れる。

話の展開は、全く予想もしないもの。そして随所に盛り込まれた笑いと哀しみ。

実際、観ながら、頑固なじいさんが、死別してしまった妻の果たされなかった夢を叶えるものだと思っていたのだけれど、そういう話ではなかった。描かれていたのは、過去との決別であり、非常に前向きな決意の話だった。

宮崎駿がこんな言葉を寄せているのを劇場のポスターでみかけた。

「実はボクは、追憶のシーンだけで満足してしまいました。追憶と同時に『古い夢』と『新しい夢』を描いていくこと。それが面白かったですね」

確かに、古い夢だけを描いたのであれば、それ程面白い映画ではなかったと思う。その古い夢に別れを告げるという辛さがなんとも前向きに描かれてるのが、涙を誘う。妻の夢を叶えたと思った途端に失ったもの、そこでじいさんが下す決意と、じいさんが捨て去るもの。古い夢と新しい夢が混じあうシーンゆえに非常に切ない。この映画中で最高のショットもここにある。

もう年末だけれども、とても良い映画を観せてもらった。あとは、『アバター』を観たら今年は映画納めかな。



是枝監督の最新作『空気人形』

とにかく、とにかく孤独な映画。登場自分達は、すべからく現代の都市生活者であり、皆一様に孤独だ。孤独でない人間は全く登場しない。そんな孤独な都市生活者の孤独な心を埋める為の空気人形が心を持ち、そんな人々の間をフワフワと漂っていく。そんな映画だ。

なんとも暗い映画でもあるし、性に対する描写も躊躇がない。でも、テーマ性よりは全然暗い感じはしないし、性を描いても下品になってない。それは偏に、主演のペ・ドゥナの醸し出している雰囲気に依る。バッチリなキャスティングではないかと思う。

この映画には、基本的にそれぞれの孤独に明確な出口は提示されない。ただ、それぞれの人が孤独で有り続けるのみだ。孤独な心を持つ人達が、それぞれの寂しさの引力に引かれあい、それぞれの孤独に帰る為に離れていく。その繰り返しの一部分が示される。それは否定される情景でも、何かしらの希望を仄めかしてもいない。心を持った空気人形ですら、孤独を抱え、その孤独を埋めようとして、相手を傷つけ、自分も傷つく。でも、それは決して不幸でもない。心を持った空気人形が吐いた空気で、タンポポの綿が飛び、誰かが『綺麗』といった。多分、それがこの映画のテーマ性を語っているのだろうと思った。
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