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ニュークリア・エイジ (文春文庫)
ニュークリア・エイジ (文春文庫) ティム オブライエン

おすすめ平均
starsニュークリアエイジ
starsI want to be wanted!
stars真剣さを笑うことなどできはしない。
stars本気で生きる事。
stars終わりのない不安感

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いろいろ思うところあって「ニュークリアエイジ」をまたしても読み返す。一生に亘って読み返す小説があるというのは、僕が知る限り、人生で得られる最大の幸福の内の一つではないかと思う。ある種の本は、ある種の人の人生の根拠として機能したりもする。そんな風にも思う。人の人生の根拠が紙束だというのは滑稽でもあるが、そういう儚さは幸福という儚さに近似する様にも見える。

で、ニュークリアエイジ。

この小説は本国アメリカではオブライエンの失敗作として一般には評価されている様で、確かに、物語としてはあんまり上手くない部分が散見される小説ではある。視点が定まらず、同じイメージが執拗にグルグル回っている部分が幾つかある。こういうのは物語のテンポを壊すし、読者の忍耐も要求するので読み難くなる。また、描くべきポイントが絞りきれていない為、明確なメッセージが見えずらい(そもそもメッセージは明確であるべきなのかという根本的な問いは置いといて・・・)。核という妄想が、物語中のあらゆる要素にパラフレーズされているが、それがパラフレーズであるかどうかが分かりづらい。それにも関わらずこの小説はやはり優れている、と僕は思う。

なんでか?

それはひとえに登場人物達が醸し出す強烈なobsessionを感じ取れるからだ。彼らの強烈なobsessionは物語という入れ物に入れるには、あまりに生々しく、執拗すぎる。普通の感覚からすれば異常と言ってもいい。それがこの小説の物語性をある場合には逸脱し、壊している。登場人物達が物語を犠牲にして描かれている。でもってこういう描き方は現代ではあんまり評価されない。

でも、僕から言わせると、昨今の小説は巧すぎるし、上手すぎる。確かに、物語としては優れているし、人物描写も的確な作品がいくつもある。描かれるポイントも明確だ。だけど、あんまり人間が描かれいるとはどうしても思えない・・・。

では、そもそも人間とはなんであるか?

こういう根源的な問いに対して、哲学的及び生物学的な観点を抜きに、一言で答えるなら、僕は多分こう答える。obsession(強迫観念)である。と。

obsessionこそが、自分と他人を分かつboundary line(境界線)であり、このboundary lineによって、僕、及びあなたは、人間として、否応無くdefinition(定義付け)される。obsessionというboundary lineによって、人は自分自身という人間の限界に拘束され続ける。つまり、obsessionというboundary lineはconstraint(制約)でもある。でもって、このboundary lineというconstraintを越えようとするのが人生の正体だったりもする。

なんか言葉遊びみたいになって若干分かりづらいかもしれないけれど、このobsessionこそが個性の正体でしょ?という事が言いたい。

補足:
(おれっち(あたい)にはobsessionなんて無いよと言う人もいるかも知れないけれど、それはあなたがまだお子様であるか、本当に信念の無い人かのどちらかで、そういう人を人間と呼んでいいかのかどうかは知らない。昔の人はそういう人の事を生ける屍と呼んだみたいだから、人間だけど死んでいるというのが正しい表現かもしれないけれど。)

で、話はニュークリアエイジに戻る。

さっきも書いたように、この小説の登場人物達はみな強烈なobsessionを抱えている。強烈であるが故に、彼らのboundary lineは太く、そのconstraintは強力だ。彼らは、そのboundary lineを必死に越えようとする。当たり前の事だけれども、どんな人間でもobsessionを一人で抱えて生きていく事は出来ない。obsessionこそは孤独の正体でもあるからだ。だからこそ、boundary lineを越えようとする。文字通り一生懸命越えようとする。その過程は強烈で、もちろん何度も傷つく。自分も他人も、肉体的にもの精神的にも。その過程をオブライエンは執拗に描くのである。物語が破綻しようとも、壊れようとも描くのである。それは小説技法的な観点からみれば確かにNGなのかもしれないけれど、一読者として無責任に言わせてもらうと、小説技法なんてくそ食らえ。という事になる。少なくとも、僕はその執拗さにオブライエンの真摯さを感じるし、それが僕がこの小説家を好む最大の理由でもある。

もちろん、どんなに足掻いても人がboundary lineを越える事は出来ない。それは物理法則が覆るのと同じ位難しい事だからだ。でも、ニュークリアエイジはこんな風に終わる。

 僕には結末がわかっている。
 ある日、それは起こるだろう。
 ある日、僕らは閃光をみるだろう。ひとり残らず
 ある日、僕の娘は死ぬだろう。ある日、僕の妻はここを出ていくだろう。僕にはわかっているのだ。それはたぶん秋だろう。木の葉が色づくころ、彼女は眠っている僕にくちづけし、僕のポケットに詩を突っこむだろう。そして世界は確実に終わるだろう。
 僕にはそれが分かっている。でも僕はそれ以外の事を信じる。
 なぜなら人生にはまたこのような日も存在するからだ。それは暑い、まぶしい一日だろう。僕らはベッドの中で午後を過ごす。僕はエアコンをつける。僕らは服を脱いで、コットンのシーツの上に横になって小声で話し合い、涼しさを楽しむ。一日が過ぎ、夜になると、我等が種の深い麻酔性睡眠の中に僕は沈むだろ。ボビが僕のもとにいる限り、僕は彼女を両腕の中にしっかり抱きつづけるだろう。僕は誓いを守るだろう。僕は煙草をやめるだろう。僕は趣味を持つだろう。僕はゴルフの腕を磨き、適切な投資をおこない、礼儀・礼節のしきたりを忠実に守るだろう。僕は忘却という事を学ぶだろう。なんのためらいもなく嬉々として、教会から墓に向かう行列の中に僕は自分の位置を占めるだろう。信じ得ぬものを信じつつ。すべての物事は再生が可能なのだと信じつつ。人間の精神というものは常に無敵・無限であると信じつつ。僕は忍耐強い夫になるだろう。僕は生き延びるだろう。僕はある確信のもとに生を送るだろう。つまり、もしそれがついに起こったとき、我々が真夜中のサイレンの音を耳にするとき、カンザスが炎上するとき、なされたことが元どおりにされたとき、自動安全装置が故障するとき、抑止力が抑止できなかったとき、万事が休したとき ――― そう、そうなったときでさえ、僕は断固とした不変の正統的正論にしがみつき、最後までこう確信しているだろう。Eは本当はmc^2なんかじゃないんだ、それは狡猾なメタファーであり、最終的な等式は本当は成立してないのだ、と。
 
                                                                                                                           (「ニュークリアエイジ」p568~569)

E≠mc^2だ、と。

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レベッカ・ブラウン初読。

感動的。あまりに感動的な物語。

というと陳腐に聞こえる昨今だけれども、そうは言っても、大きく心を動かす物語の本質が陳腐になっている訳ではない。ただ、ある種の逆説を通してからでないと、プリミティブな感動を表明することは、ダサいというのが時代の文脈の様だ。僕なんかは、そっちのがよっぽどダサいと思うけど、こういう事言うと角が立つね。

オムニバス形式の短編集で、主人公はエイズ患者の世話をするホームケア・ワーカー。彼女と患者達の交流を・・・。と書いてみると、なんか湿っぽくなるが、まあそういう話。訳者の柴田元幸氏も書いているけど。

要するに時代の文脈に乗っかってしまう訳で、その湿っぽさを意図的・かつ・技巧的に排してあげないと、なかなか人は物語の中にスッと入っていけない。

そういう意味で、この小説はよく出来ていて、ハードボイルドな描写に作者の力が入っている。主人公は、患者との交流の中でセンシティブになり、ナイーブになっていくが、いつもそれがギリギリの所で止揚されている。そして、その止揚されたエネルギーが、贈り物という形で、主人公の中で結晶する。

でも、そんな風にハードボイルドに止揚された彼女の心は、仕事を続けることが出来なくなってしまう所まで行く。結局、贈り物が自分の中に溜まっていく事に耐えられなくなる。贈り物をくれる人はみな死んでしまう訳だから当然だ。ただ、それと平行して、前半の小さな哀しみや喜びが、後半で大きな感動としてうねり始め、説得力が生まれてくる。哀しいけれども温かい、静謐な感動がやってくる。

そんな魅力的な一冊。
2007年 本の雑誌が選ぶ文庫本ベスト1  & ダ・ヴィンチ ブック・オブ・ザ・イヤー2007(文庫)
に選ばれた本書。

今の所、

「精霊の守り人」
「闇の守り人」
「夢の守り人」

の三巻まで、新潮文庫になっている。

元は児童文学で、既に全10巻が完結している「守り人」シリーズ。
去年には1巻目の「精霊の守り人」がアニメ化されいる。(かなりの完成度の作品だった。詳細はそのうち)

とりあえず、3巻までをまとめ買いしてチビチビ読もうと思ってたんだが、
面白くて、3日で3巻一気に読んでしまった。

文章のリズムがよく、スイスイ読めるし、ストーリーテリングも巧みだ。
何より、世界観や登場人物達が非常に魅力的で一気に引き込まれる。
著者は文化人類学者だから、細かい文化的な設定もしっかりしている。

読み終えて、改めて、奇抜さや、小手先の技巧性ではなく、
物語の骨子そのもの魅力について考えさせられる。

これだけの完成度のファンタジーが日本語で読めるのが単純に嬉しい。

そして、次巻の文庫化が待ち遠しい。
フィリップ・マーロウですな。

村上春樹による新訳をやっと読み終えた。かなりの長編なので、土日に腰を据えて一気読みがオススメ。とりあえず、凄く面白かった。久しぶりに面白い小説よんだな~という感じ。旧訳読んだ事ないんだけど、村上春樹訳は個人的にとても読みやすいものだった。それに、巻末についている村上春樹の解説もかなり読み応えある。

今年は、フィッツジェラルドの「夜はやさし」の新訳も出すみたいなので、凄く楽しみだ。少なからず生きるモチベーションが増える。
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