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遅ればせながら、村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチの全文を読んだ。
finalvent氏の訳が一番しっくりきた。

極東ブログ: 村上春樹、エルサレム賞受賞スピーチ試訳

でもって各種報道記事にも目を通した。

村上春樹さん:ガザ攻撃を批判 イスラエル文学賞受賞演説で
村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判
村上春樹さんに「エルサレム賞」=スピーチでガザ侵攻を批判

別にただの記事だからそれほど目くじら立てる必要もないし、イスラエル対ハマス的に報道したい気持ちも分からないではないけど、スピーチの内容全文ちゃんと読んだ?と聞いてみたい。あまりにも単純化しすぎだろう。

イスラエルもThe Systemだし、ハマスだってThe Systemだ。The Systemはあらゆるところに存在するし、正しく機能する場合もあるし、正しくなく、時に暴走することさえある。そうなった時、人(egg)はいとも簡単にThe Systemに絡め取られてしまう。そして、全ての人(egg)は多かれすくなかれThe Systemの中で生きてる。というかThe Systemの一部である。それが現実であり、真実である。でも、自分は常にeggの側に立つ。そう村上春樹は言っている。それが小説家である自分の仕事であり、責務だと。

eggの側に立つというのは、The Systemに人の尊厳を絡め取らせてはならないという決意の意味であり、The Systemの一部であったとしても、それに加担するつもりはないという表明だろう。もっと言うなら、eggとしてThe Systemに向きあう中から出てくる言説しか自分は信頼しない。そう言っている。

だから、このスピーチでイスラエル対ハマスなんて話はてんで的が外れている。

まあ、でもそれが個人的にこのスピーチで心惹かれた部分じゃない。そういう話は、村上春樹の小説を読んでいればおのずと伝わることだし。

村上春樹はずいぶん熱心に読んで来たし、学生の時は雑誌に掲載されるものもそれなりにチェックしていた。だから村上春樹が書いてきたことは大体把握しているつもりだ。

村上春樹は自分の父の話を、これまでおそらくはしたことがない。父という存在は、この作家にとって非常に希薄で、これまでの小説を読んでみても父が、物語中で重要な存在であったケース(しいて挙げるなら「海辺のカフカ」くらいか)は殆どない。エッセイでも家族の話は奥さんと猫以外の話は殆どない。

だから、このスピーチで父の話をする村上春樹は、僕にとって結構、というかかなり衝撃だった。こんな風に父との関係性を語る村上春樹を、僕は知らない。でも、The Systemとeggの話からすると、父を語った必然性も分かる。村上春樹の中で父がどういう存在であるかは断定出来ないが、eggであり続けようとした父という存在を確かに村上春樹は継承している。

すぐに浮かんだのは「ねじまき鳥クロニクル」だった。

ねじまき鳥クロニクル - Wikipedia

その中で語られる間宮中尉の話だった。おそらくは、それが一つの継承の形なんだろう。第3部の間宮中尉からの手紙をちょっと読み返してみた。安易に村上春樹の父=間宮中尉なんて簡単に図式化するつもりは毛頭ないし、それは物語を読むスタンスとしては最低だ。それでも、読み返してみた間宮中尉の手紙は別の意味をもって伝わってきた。eggの側に立つということの意味が伝わってきた。
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こないだ実家の猫が死んだ。

小学校4年の時から飼ってた猫なので、17年も生きた計算になる。これは猫にしては大往生だと思う。正月に実家に帰った時には、もうかなり弱っていて体重も全盛期(まあデブだった)の半分って感じだったし、そろそろかなぁと思い一応最後のお別れはしといたけれども。

うちはオカンが猫好きなので、子供の頃から家に猫はいた。↑こいつを含めると三匹飼った事になる。

一匹目は生きていればたぶん2歳ぐらい年上になる。物心つかない子供の頃にさんざんいじめておもちゃにしたようで(ひどい奴だ)、確か全然なついてはくれなかった。それでも小学校2年の時に死んだ時は、悲しくて授業中に涙が止まらなくなって、保健室に連行され、早退させられた記憶は鮮明に残ってるから、大好きだった事は間違いない。と思う。2匹目はたぶんその次の年くらいに貰われきたが、こいつは犬みたいな性格だった事が災いして、猫としては非モテだった。当然我が家でも非モテだった。その次の年に、その非モテの子供らしい(猫的にも非モテだったと思うんだけど、どういう訳か。。。)という事で瀕死のところを保護されたのが三匹めの猫である。さすがに僕も大人になっていたので、この猫とは割と良好な関係を築く事ができた。

村上春樹じゃないけど、うちは兄姉の年が離れたいたので、どちらかと言うと一人っ子に近く、猫と過ごす時間は結構あったと思う。たまには、一緒に布団で寝たりもしたし、冬はこたつに入ってると膝の上に登ってきたりした。

「ふわふわ」の中には

ずいぶん多くのことをいのちあるものにとってひとしく大事なことを、猫から学んだ。幸せとは温かく柔らかいことであり、それはどこまでいっても、変わることはないんだというようなことを

なんて書いてあるが、確かに猫から学ぶべき所はある。結構たくさんある。死について、身をもって教えてくれたのも猫だった訳だし。また、猫がもっている行動規範というのは、かなり見習うべきところがある。というか大抵の大人よりも見習うべき所が多い。

もう大人なので、猫が死んだくらいで会社も休まないし、保健室にも連行されないけど、やはり猫が死ぬといろいろと想う。ニャー

だって。

結構面白かった。
こういうの前後の文脈無視して鵜呑みにするのもどうかとかは思うけれども。
音楽がなかなか良かったんではないでしょうか。



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水曜の夕方から風邪をひいてグッタリしていた。

僕の経験則では風邪は一日しっかり休むと治ってしまうものだが、今回のはキツかった。
喉の痛みと頭痛は、いつもの感じなのだが、
関節の痛みと、熱(39度。ここまで上ったのは初だ)がハンパなく辛かった。
風邪の初期症状には葛根湯だろ!とナメてたら全然効かない。
死線が見えそうだったから、重いからだを引きずって風邪ごときでは行かない病院にもちゃんと行った。確かに体も心も結構ずっしり疲れてはいたが、自分でもこんなに弱ったのは初めてだったので正直驚いた。

今更だけれども、風邪をナメてはいけない。

でまあ家で寝込んでた訳だけれども、ダラダラ寝るのは帰って逆効果らしい(ググった)ので、当然本を読む。難しいのはNG。絶対頭に入らない。こういう時は村上春樹のエッセイが一番よい。

何度も読んでるので、まあ適当に流し読みしていたが、「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか 」の中の、「一日ですっかり変わってしまうこともある」でちと昔を思い出す。昔を思い出すのは精神的に弱気になっているからだろう。

ちょっと引用。
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何かに対するものの見方が、ある出来事を境に、たった一日でがらりと変わってしまうということはたまにある。そんなにしょっちゅうではないけれど(しょっちゅあるとつかれてしょうがないでしょうけれどね)、忘れていたころふっとある。ポジティブに変化することもあればネガティブに変化することもある。言うまでもなく、ポジティブな変化の方がずっと好ましい訳だが・・・・・・。
ダイアナ・ワシントンがその昔「たった一日がなんと大きな変化をもたらすか(What a Difference a Day Makes)」という歌を歌っていたが、もちろん恋のことですね。恋することで、まわりの世界の光景が大きく変わってしまうのは、多くの人が身をもって体験されたことに違いない。愛する異性と心を通わせることで、光の輝きや、風の感触が昨日までとはまるで違ったもののように感じられる・・・・・・こともあります。
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そんな恋は最近してないけれど、何かに対するものの見方が、たった一日でがらりと変わる。という経験はその昔にした。その日の事は今でもはっきりと鮮明に記憶としている。2001年2月26日の夜中、本を読んでた時だ。なかなか言語化が難しい体験だった。なんせ全部頭の中で起こった出来事だったし、何か物理的なアウトプットがあるわけでもない。当時は、まわりの人間にそれを伝えたくて片っ端から説明してみたが、「どうやら大学を辞めると決めて、何かあついは頭がイカれちまったらしい」という印象与えてしまった様だった。家族にも同様の印象を与えた。未だにその点に関する誤解は解けてない。まあしゃーない。確かに僕の頭のネジは今でも多少緩んでるし、あの時の興奮はなにかしら人を不安にさせる種類のものだったのも確かだ。それにまだ19歳だった。しゃーない。

第三者的に書けば、19歳の若造が、世界に対するある野放図な認識を手に入れたというに過ぎない。何も特別なことがあった訳ではない。

今ならあの体験にいろいろと理屈をつけることは出来るが、それは意味の無い事だという事も分かった。自己了解の為の言葉なら幾らでも紡げるが、本質的にそれを他人伝えることの不可能も知ったからだ。大人になったのだ。

でもあの日得た個人的な確信は今でも自分の殆ど唯一の根拠になっている。

とまあなんか意味の分からんエントリになってしまったが、弱気になると人は感傷的になって昔を思い出すという事みたいです。はい。
会社でコードをせこせこと書いていると、外からから花火の音とがドンドン聞こえてきて、今日はどうやら横浜では花火大会という事らしいが、はっきり言ってドンドンやられると、頭に格納している一時情報がドンドン揮発してくいくので迷惑だ。そもそも僕は花火大会というものが嫌いだ。なんだって、この暑い中人ごみの中に突撃していって、大して旨くもない屋台の焼きそばなんて食わなきゃならんのだ!!!俺は今、カスタムタグのインターフェース仕様を考えているんだぞ!!!コンニャロー!!!とでも言いなくなる。

僕の中の花火大会と言えば、子供の頃実家の屋根に登って、スイカ食べながら遠くに上がる花火を見つめていたのあの夏の日。あれが正しいの花火大会の受け止め方だと断言しておく。

とりあえず、ドンドンやられながらも(たまにガラス張りの窓が割れんばかりのデカイのが上がるんだよなコレが・・・)、タグ出来たので退社。ハラも減ったの飯を食おう!と思ったら、なんなんだよこの人人人。なんで仕事で疲れた人間が、浮かれたアホ面したうるさい高校生の列にならばにゃならんのだ!!!こういう連中の頭上に10トン爆弾でも落としたらさぞ清々するだろうなんて思いながらも渋々並ぶ。

しかしみんな楽しそうな顔をしている。まあそりゃそうだよな。花火大会だし明日も休みだもんな。楽しくないハズがない。でもなんかあれですね。そういう楽しげな人々を見ていると、何かしら自分が間違った人生を歩んできた、間違った人間の様に思えて不安になりますね・・・。まあ気のせい気のせい。going my way

でも、このまま流れにのって帰ると大変なことになりそうなので、映画を見て帰ることにする。「インディ・ジョーンズ」。ハリソン・フォードの動きが良い。50台後半のくせにキビキビ動く。気持ちいい。でもって、テンポの良いアクションが飽きさせない。金曜ロードショウー的なフレームワークをヒシヒシと感じるぞスピルバーグ。お話の荒唐無稽さはシリーズ随一。まあインディ・ジョーンズにリアリティなんて求めてないけど、凄かった。

という夏の一日のお話でした。

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