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これまた3Dで鑑賞。

まず、作品云々以前に、3Dメガネをかけて映画を観るというのが結構微妙なのだ。これは『カールじいさんの空と飛ぶ家』の時もちょっと思った。まず、フィットしないので、手で押さえたりする必要がある。これだけで集中力がちょっと削がれる。また、メガネを常用する人にはかなり悲惨だ。メガネonメガネで、鑑賞中かなり目が疲れる。。。

キャメロンは、この3Dという技術に興味津々なご様子なので(というかこのおっさんの撮影技術にたいする拘りはいつだってハンパない)、この3Dという技術を使って、まさに観客を別世界に連れて行こうしたんだろうなぁ~。というのは分かる。よく分かる。でも残念ながら、現在の3D映像技術は、そこまで成熟してない。。。

メガネなし(技術的にはそういう方向に一応は向かおうとしている)で、スクリーンも観客を覆うような映画館でも出来ないと、きっとキャメロンが観客に体験させたかった事は、実現できないと率直に思う。映画という枠を越えて疑似体験を目指しているのであれば。

で、作品として、どうか言えば、いつものキャメロン節は炸裂だった。ロマンティシズム、理想主義。そういう部分はこの人の持ち味なので健在である。これは好みの問題だけれども、自分は好きだ。

まず、相当に作り込まれた世界観が凄いが、どこか気味が悪い。惑星パンドラの青い肌の原住民ナヴィは、このちょっと気味悪いよな。という絶妙な感じをよく表している。あんまりお友達になりたくない感じである。

そんな気味の悪い惑星パンドラに乗り込んできた人類は、この原住民ナヴィの村がある大樹の下に、キロ当たり2000万ドルする鉱石がしこたまあると知り、なんとかそれを手に入れたい。当然、こういう欲深い人間の本質をサクッと見抜いているナヴィ達は、あまり友好的ではない。そこで、主人公はアバターと呼ばれるナヴィの体を模した人造の肉体に、神経レベルでシンクロして、原住民の懐に入り込み、情報収集をするというスパイ作戦に参加するのだ。

そして、主人公が彼らと生活を共にする内に、彼らの文化の奥深さや、優しさに触れていく。主人公は、彼らとの交流を深める内に、その世界にどんどん引き込まれていき、いつしか彼らと共に過ごす時間の方に充実感を覚え始める。

凄いのは、この主人公がたどる心の変化と共に、それを観る観客の心も変化していくという事だ。最初は気味の悪かったナヴィ達に、いつの間にか親しみを覚えるようになっている。また、気味の悪かった生物達の事も好きなってしまう。

観客の心を、主人公の心の変化に合わせて移動させるキャメロンの演出が、凄いんだけど、その凄さが全然分からないとこが、また凄い。主人公と原住民のナヴィの女性のキスシーンは、なんとも感動的で、そこで完全に観客は、ナヴィの味方になってしまう。

この映画のテーマは、相容れないと思っていた他者との出会いであり、心の融解の物語なのだ。それをしっかり観客にも体験させてくれるのだから凄い。

もちろん、これはキャメロンだから出来た完璧な計算された演出で、凡百の監督にはまず出来ないだろう。

それと、キャメロン映画におなじみの強い女性もちゃんと出てます。

3D技術が成熟してから観れば、これはある意味で革命的な映画かもしれないので、ちょっと残念な気もするが、これから劇場で鑑賞しようと思っている人は、前の方の席で、しっかりと3Dメガネを固定するもの(ヒモとか)を持って劇場に向かうといいと思います。

という訳で、これで今年は映画納め。今年の映画ふり返りは、年内に頑張ってUPします。

追記:

twitter読んでたら、シガニー・ウィーバーが途中で説明する、惑星パンドラに張り巡らされた巨大な神経ネットがスゲーんだよ。こっちが真の価値だよ。という主張をするシーンがあったけど、この伏線は確かに放置されていた。劇中は、『お、盛り上がってきました!』とか思ったけど、その後何もなし。。。エンジニアとかやってるとやっぱ気になるよね。。。そこら辺はね。まあ、こっちにフォーカスしちゃうと、作品のテーマがぶれちゃうかなという判断なんだろうけど、DVD(Blue rayでもいいけど)のディレクターズカット版とかでは、是非そこらへんの伏線を回収するカットを追加して欲しいなぁ。

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キャメロンの鬼っぷりがもう一度観たくなって完全版とunder pressureを見直す。完全版が171分もあるけど、こっちが本当の『アビス』です。

『アビス』は、キャメロン作品の中では興行的には明らかに失敗だし、作品としての評価も、他の傑作『ターミネター1』、『ターミネーター2』、『エイリアン2』とかに比べると劣るというのが一般的な見方。

確かに『ターミネーター2』と『エイリアン2』は大好きだけど、どれか一つと言われると『アビス』を取りたくなるくらい良い映画なんだけどね。まあ、もちろんそういう評価にもそれなりの理由はあるけれど。

キャメロンは学生時代に海洋生物学と物理学を専攻していたくらいなので、その辺りへの興味はものすごくあるはずで、それを最初にぶつけたのがこの作品ではないかと。その熱い想いは、完全版の映像特典『under pressure』を観れば分かる。本人は、深海が舞台の『2001年宇宙の旅』が作りたかったと言っている。

ジェームズ・キャメロン - Wikipedia


SF監督的なイメージつきまとうキャメロンだけれども、この『アビス』では珍しく現実の世界を背景している。その背景とは冷戦。ただ、冷戦が崩壊して約20年後の現在にみると、作品の持つ緊迫感が微妙に伝わってこない。。。この作品は1989年8月公開だけど、同年の11月にはベルリンの壁が崩壊している。皮肉にも、冷戦に対する批判をメッセージとして持った作品が、冷戦終結によって、その評価を変えてしまったのだ。なんとも。

また、深海に潜む未知の生命体もリアルに生身を映してしまった故に、今観ると、うーむというかんじのチープさがある。そういう意味では、生にそこらへん出さなかった『2001年宇宙の旅』は戦略的だ。

また、海底が舞台故に、おそらく観客が期待したであろうアクションシーンがあまりなく、人間ドラマ中心のどちらかと言えばゆったりした作品になってしまったのも評価に影響したのかもしれない。

でもね、やっぱりこの作品が好き。

エド・ハリス演じるタフガイが、核爆弾を解除する為に降りてくいくシーンは素晴らしいことに変わりないし。奥さんとのやりとりはもちろん感動的なんだけど、爆弾の解除が終わった後に、もう地上に戻れなくなったエド・ハリスが、深海にゴロンと座って、深海(ABYSS)を見つめるシーンは、なんとも形容できない厚みがあるシーンだと思う。何かしら人間存在の一番大事な部分を映し出している気がしてならない。

『under pressure』には何かものすごいものを作り上げようと闘志を燃やす若きキャメロンが感じ取れてなんともいい。他の撮影スタッフや俳優からすると相当怖いと思うけど、やっぱり物作りはこれくらいの気持ちでやらなあかんと思わせられる。



キャメロンの12年ぶりの劇場用作品のアバターがやっと12月に公開される。もうこれは待ちきれないので、フライングする。

既にキャメロンの映画を観てきた世代が、ハリウッドに入ってきている程にキャメロンもおっさんになってしまったけれど、今現役の監督の中でダントツに素晴らしいのは、やはりキャメロンだ。

このオヤジは映画作りに関しては、もう鬼である。鬼神といってもいい。本当に妥協を許さない。いや、多分妥協はしているんだけど、それはキャメロンにしか分からない妥協であって、多分、周りの制作スタッフでその妥協に気がつける人はいなんではないか?と思ってしまう程徹底した仕事をしている。

ホントかよぉ。。。と思う人は、DVDとかの特典映像のメイキングとか観れば納得してもらえると思う。

さあ、話を映画作りから汎化して物作りについて考える。

物作りってなんでしょうね?多分に職人的気質を備えている日本人なら、それぞれ個別の解答があるだろう。

同じくキャメロンを尊敬している、ゲーム『MSG』シリーズを作っている小島監督は、「物作りは妥協です」と言った。この言葉は真実だろう。でも、これは前後の文脈を無視すると意味がない言葉だ。妥協が出来るくらい物作りに真剣だからこそ、妥協をしなければならない局面が出てくる。最初っから、プライドも信念もなく作っている『もの』には、また妥協点も存在しないのだ。だって、最初から物作りから逃げているんだもん。妥協すべき点なんてない。あるのは予算と納期だけだ。

さて、では今の日本はどうか?という話には繋げない。もうそういう言説は飽きた。言っても何にもならない。少なくと自分が関わっている『もの』は妥協出来る様に頑張るしか道はないので。

という所で、話を『アバター』に戻す。

構想14年、制作4年の長大なSFファンタジー作品だ。キャメロンに言わせると、俺の妄想にテクノロジーが追いついた。という事らしいが、その言葉は、相当な気合いが入ってんだぜ今回の俺っちは。と受けとる。若干、『アビス』と同じ臭いを感じるので、興行的には心配なんでけど、作品としては多分大傑作になるでしょう。

とりあえず12月の公開までは死ねないな。


久しぶりの映画館での鑑賞。

大人気だった、X-MENシリーズのスピンアウト作品。で、ウルヴァリンって映画だけみているとX-MENのリーダーみたいだけど、実はサイクロプスなんだね。どうやら、巷では主人公(笑)という別名があるらしいけど、可哀想ですね。

ウルヴァリンがウルヴァリンになる前のお話で、セイバートゥースが兄だという設定なんだけど、X-MEN1で登場してあっさり死んでたよね。と思ったら、X-MEN1での登場は無かった事で、という前提らしいです。まあ、話の整合性を保つためには仕方がないもしれないけど、こういうのがエスカレートすると、実はストームはサクロプスは又従兄弟で、プロフェッサーXとマグニートーは実の兄弟だったとか、まあなんでもありなっちゃうよなぁとも思うけど、別にスーパーマンがX-MENに加入しました、よろしく!とか言ってもそれはそれで面白いか。

あとウルヴァリン役のヒュー・ジャックマンのビルドアップされた体が凄い。もう究極の肉食系男子だ。

まあ、アクション映画としては平均点以上でした。続編の制作も、もう決まっていて、その他にも、別キャラのスピンオフが5作も制作が決定しているそう。『スパイダーマン』も6まで制作が決まっているそうだし、当分スーパーヒーローには困らないですね。
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ショーン・ペンが原作(↓こちら)に感動して、
映画化権獲得に10年という歳月を費やしたしそうな。

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原作者のジョン・クラカワーは、
登山家であり、ノンフィクション作家。
で、アメリカ社会が抱える病理を描くのが上手い人だったりもする。
だから、この『荒野へ』も読み解くのが結構難しい。。。

映画のキャッチコピーは、

「そして僕は歩いていく、まだ見ぬ自分と出会うために」
「自分をぶっこわす旅」


という感じ。自分探しを匂わせる。。。

主人公のクリストファー・マッカンドレスは、大学を優秀な成績で卒業するも、貯金を寄付し、クレジットカードを切捨て、車を乗り捨て札を燃やし、家族にも何も告げず、本当の自由を求めアラスカへ旅に出る。

彼は、徹底して消費社会/物質主義を拒絶する。そのストイックさは相当異常で、ヒッピーですら彼のアラスカ行きを止めたりする程。彼をそれほどまでに突き動かすものは何なのか。。。

消費社会/物質主義の拒絶のというのは、アメリカ文学の系譜としてそれなり根拠があるもので、ジャック・ロンドンとか、古くはヘンリー・デイヴィッド・ソローが有名。特に、ソローの『森の生活』は、アメリカ文学史上に結構大きな影響を与えた作品。

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どうして、こういった強烈な消費社会/物質主義の拒絶がアメリカ文学の一つの系譜として存在しているかと言うと、アメリカには歴史がないから。

歴史がない新しい国であるにも関わらず、ご存知のようにいろんな意味で今世界No.1の国でもあるアメリカを支えてきたのは、まさしく消費社会/物質主義そのもの。

また、アメリカを象徴する言葉と言えば『自由』だが、それはある意味で、歴史の呪縛がないという事でもある。移民が支えてきた国であるが故に、悪く言えば、根無し草の集まりでもあり、国民が結束する根拠も弱い。国民が共同の歴史的記憶を持たないというのは、共同体を作り上げるうえでは結構致命的な事なのだ。だから、彼らの結束の根拠は『自由』にならざるを得ないし、自国がドラマチックな歴史を持つこと対する強烈な渇望は今でもある。(特に歴史の長いヨーロッパに対する強烈なコンプレックスは確実にある)

そんな、ある意味で精神的に脆弱なアメリカが、ここまでのしあがってきたは、消費社会/物質主義のおかげに他ならない。だから、その消費社会/物質主義を抜きでアメリカが自国を考えるとき、他になにも残らないのではないか。。。という恐怖感は、常に向かい合わざるをえない問題。で、それに対するカウンターとしての強烈な精神主義への傾倒があったりもする。

その表出が、ソローの『森の生活』だったり、大きな流れとしては60年代のカウンターカルチャーだったりもする。アメリカ文学至上の伝説的存在でもあるJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』でも、主人公のホールデンが、何もかもから離れて森で生活したいというガールフレンドに言うシーンがある。消費社会/物質主義に対する反動としての純粋な精神を求める傾向は未だ根強い。

という所で、話が映画からはだいぶそれたけど、消費社会/物質主義の拒絶というのがアメリカでは結構痛切なテーマだったりするという事がいいたい。

だから、この映画の主人公のクリストファーの消費社会/物質主義の拒絶をそのまま体言した様な行動は、アメリカの精神の出来れば一番触れられたくない部分、アメリカが抱える病理そのものを強烈に刺激する。のではないかと思う。

だから、プロモーションしていた自分探しとかはちょっと毛色が違う話で、もうちょっと複雑な背景をもつお話なのだ。

で、消費社会/物質主義を離れて、どんどん自然に入っていく主人公のクリストファーなのだが、場所は消費社会/物質主義を遠く離れたものの、心の方はなかなかそれに追いついていかない。なんせ、誰もいない荒野に出て、自給自足の狩猟・採集生活をはじめなきゃならないに、のんきに本を読んだり、日記をつけたりしているんである。

目の前に雄大な自然が広がっているにも関わらず、あんまりそれに心奪われている風でもない。それよりも過去の自分のことをクヨクヨ振り返っては日記をつけている。狩で捕まえた獲物を燻製にするのに失敗して、動物の命を無駄にしてまったことを激しく後悔したりする。こういう陳腐な博愛主義なんてまさに消費社会/物質主義が出所なのに。。。

結局のところ、自然の中で一人で生きる為には、生ぬるい考えを捨てて、生きることに対して全力で知恵を絞って、時には動物の様に残酷に徹しなければならないのに、彼にはそれが出来ないのだ。

そんな風に、実は消費社会/物質主義から離れようとはしたもの、アラスカの大自然の中にまで来ても、そこから離れることが出来ない様を描いている訳だ。だから、ラストで文明社会に戻れないことが明らかになった時に、彼はどうしようもなくうろたえてしまう。。。

この映画はテーマは、そいう意味でかなりアイロニカル、かつ、救い様がなかったりする。かなりセンセーショナルなメッセージ持った映画だったりもする訳だ。

とまあ一筋縄では読み解けない映画だけれども、結構考えさせられる作品だった。

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